スコブルイー


桂木優歌(かつらぎゆうか)。今現在中学3年生の夏休み、いわゆる受験生だ。
女の子らしい名前だけど、僕は男だ。母が言うには
「女の子が欲しかったのよ。だから名前だけでもって母さん考えついっちゃったの。
いい考えでしょ?」
だそうだ。
思いつきで息子の名前を女の子っぽくする親って…。ちなみに僕には2歳違いの妹
がいる。妹が、だ。これがまた僕の名前の由来をますます寂しくさせるんだ…。妹
が悪いわけではないけど、時々悲しい。
さて、僕の前置きが長くなるのは避けたいのでそろそろ本編に入ろうと思う。
それでは、どうぞ。


#1[青空1]

ある晴れた夏の蒸し暑い昼下がり、優歌はぐったりと自分の部屋の床に寝そべっていた。
時折寝返りを打つと体温で温まっていない床がひんやりとして心地よかった。しかし、
(暑い!! なんだ、この暑さは…)
床の冷たさだけではこの暑さをしのぐには足りなかった。すぐ脇には扇風機が回ってい
るが、ぬるい風を優歌にあてるだけであった。
おもむろに立ち上がり、扇風機のスイッチを押した。扇風機の羽が動力を失い次第に回
転が止まっていく。優歌は机の上に置いてあった参考書やらノートなどを適当に鞄に突っ
込んで、自室を出た。
階段を降りて居間を通る時にテレビを見ている母に一言言った。
「ちょっと涼みに行ってくるついでに勉強してくるわ」
「ちょ、それ普通逆じゃない? 勉強するついでにじゃない? …あら、どっちにしても
なんかおかしいわよ、”ついで”ってそんな使い方じゃないでしょお?」
母の声を聞きつつ、玄関で靴を履き自転車の鍵を持って、ドアの鍵を開けた。
「はいはい、そうだね。それじゃ行ってきます」
「しっかり勉強するのよー」
なんとも気持ちのこもってない声で母が言った。勉強しろ、勉強しろとヒステリックに言
われるのはもちろん嫌だが、こうまで息子の進路に無関心なのもなんだか奇妙な感じがす
る優歌であった。
(まぁ、ありがたいけどね)
そう思いつつ自転車置き場に向かった。自転車の鍵をつけロックをはずし跨ったところで
ズボンに入れていた携帯が振動した。携帯を取り出し開くと一件のメールが届いていた。
(誰からだろう?)
携帯を操作してメールを読んだ。


「なんだよ、いきなり? まぁ、暇だったからいいけどさ」
優歌は行きがけにコンビニで買ったアイスをだらだらと舐めながら言った。
「いやさぁ、どうせお前のことだからなにもしてないと思ってさ。だから、俺に勉強教え
るついでにお前も勉強できるようにと言う俺の名案」
と、優歌の級友、外崎候司(とのさきこうし)が言った。
今優歌は候司の自室にいた。出かけようとした時に候司から「勉強を教えてくれ」とメー
ルが来たのである。短く「今行く」と返信して今に至った。
候司の部屋は乱雑に雑誌が放置され、CDケースも適当にばら撒かれていた。とてもじゃ
ないが勉強するスペースは見当たらないし、その気もなさそうにみえた。
実際に今までの彼を見ていると大して成績も良くなく、勉強など学校で受ける授業だけが
そう呼べるものであった。しかし、候司は夏休み入る前にいきなりやる気をだし私立を受
けると豪語したのである。豪語しただけあり候司は塾に入り一日最低4時間は勉強に時間
を費やしているらしい。
「へ、お前がそんなことしなくても俺は大丈夫だ。直前にやればなんとかなるしなー」
「まぁな、お前ならそう言うと思ったよ。でも、ちょっとぐらい見直しがてら俺の分から
んとこを教えてくれよ」
言いながら棚からノートを引っ張りだす。
「別にいいけど、お前どこでやんの? この部屋勉強するスペースなんてないじゃん」
優歌はわざとらしくきょろきょろと部屋を見回した。
「俺の部屋のエアコン最近調子悪いんだよ。だから向こうのリビングでやる」
「あ、そ」
候司が教科書とノートをまとめ終え部屋から出た。優歌もそれに続く。廊下を少し進むと
すぐにリビングに出た。キッチンはリビングに隣接しているオープンキッチンだ。
キッチン側に大き目のテーブルが置いてあった。優歌は廊下側一番手前の椅子を引き、腰
を下ろした。候司が氷の入ったグラスをテーブルに置き、冷蔵庫から出したばかりの麦茶
を注いだ。一気に冷却され氷がぴきっ、と音を立てて亀裂が走った。
麦茶を一口飲んで、優歌はだらんと椅子の背もたれに寄り掛かった。
「つまづいたら言って。俺が横でぎゃあぎゃあ言うよりも一人でやった方が理解できるしね」
「おう」
と短く返事をして候司はノートと教科書を開き、シャーペンの芯をカチカチと出してノート
に書き始めた。
リビングに暫くノートにカリカリと書く音だけがした。
その間優歌はとりとめもなく色々な事を考えていた。
(あー、今日の晩飯なんだろ…ハンバーグかな? いや、それはないか。母さん面倒くさいの
嫌いだしな。そういや、あいつどこ行ってんだろ? 朝から居なかった気がする…最近謎な行
動が多いな、今度聞いてみるか。兄として)
唐突に学校のことが頭に浮かんできた。
(あれ? 四季石(しきいし)ってどこの高校行くんだっけ? 豊洲(とよす)高校だったかな?)
と、片思いの女友達のことを考えたり、
(佐藤は北坂行くんだよなぁ…俺よりずば抜けて頭いいくせに。家が近いからか?)
と、軽くライバル視している男友達のことを考えていると、
「…あのさ、ここなんだけど」
候司の声に優歌がゆらりと背もたれから離れ候司の指差している問題を見た。
「ああ、これはこことここが平行でこの角とこっちの角が等しくなるから…」
優歌の説明の途中で
「そうか! こっちの辺とこの角も使って合同であること言えばいいのか!」
「そ」
優歌が短く答えた。そして、またノートに書く音だけが無音のリビングに響いた。


「今日はサンクス。結構分からんとこが理解できたわ」
と、玄関で候司が言った。
靴を履き終えてドアの鍵を回そうとした優歌が振り向き答えた。
「まあ、理解できたことはいいことだけどな、分かんないとこ少し多いぜ、候司。
今のうちに全てとは言わないけどもっと分かる範囲広げとけよ?」
「ああ、それは俺も分かってるよ。だから塾行ってんだしな」
優歌は鍵を開け、ドアを開け一歩踏み出した。
「なら、いいけどね。じゃな」
優歌は階段を降りてマンションの共有入り口を通り抜けて通りに出た。
ベランダから候司が手を振っていた。優歌も振り返し、自転車に跨り当てもなくこぎ
だした。
携帯を取り出し時計を見た――午後3時――家に帰るにはまだ早いと判断し優歌は
一応の目的地として、図書館に行くことにした。
(図書館なら涼しいし、時間潰せるもんな)
自転車をゆっくりとこぎ緩やかな下り坂を下るある程度スピードが乗ってくると優歌は
ペダルを漕ぐのを止めて軽くブレーキをかけつつゆっくりとゆっくりと進んで行った。
下り坂を下りきると少しの上り坂がある、それを立ちこぎで上るとその先に踏切がある。
踏切が降りていて、優歌は踏み切りぎりぎりのところに自転車を停止させる。
ここの踏み切りは朝の通勤ラッシュのせいで開かないと有名な踏み切りだ。夕方も時々開
かなくなることがあった。
優歌は軽くため息をついた。その間に電車が右から左に向かって優歌の目の前を横切って
いく。そしてまた、左から右へと進む電車が交差して横切っていった。

踏切が開き、ペダルをゆっくりと漕ぎ始めようとした優歌の眼に、


「あ…」


見知った人が映った。


優歌は自分の鼓動がドク、ドクンと速く、高鳴っていくのが分かった。


踏み切りの先には
「四季石…さん」
優歌の片思いの級友、四季石詠香(しきいしえいか)がいた。


空は青く、薄い雲が至る所に広がるとても清清しい夏の日の夕方での出会いだった。




ツギ  モドル